旭日旗

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こうして、軍旗は単なる連隊の標識にとどまらず、連隊の魂として意識されるようになり、軍旗に関する礼式、取り扱い等も規定された(秦郁彦『日本陸海軍総合事典』東京大学出版会)。まさに「天皇の分身の旗」であったから、これを紛失したり、奪取されることなどもってのほかだったのである。勝利のときは部隊の戦闘に立ち、敗北・玉砕の際は連隊長が腹を切って、軍旗を奉焼の儀式にて灰にしたという(寺田近雄『完本 日本軍隊用語集』学習研究社)。
日本の軍国主義が、神格化した天皇を頂点として侵略を正当化するイデオロギーであったことを考えれば、同様に陸軍で神格化された軍旗=旭日旗の存在は、まさに、国内的対外的に関わらず、象徴という抽象的なレベルを超えた“軍国主義そのもの”としか言いようがないのだ。
大賀元海幕長の言う「感激し狂喜した関係者」とは、帝国海軍出身者をさすのだろう。自衛艦旗の「旭日旗」の復活は、大日本帝国海軍の強烈な“自尊心の残滓”が、そのメンタリティを継承しようとした結果だということは明らかだ。菅やネトウヨ連中が言うように、たんに伝統的な「旭日」のデザインだけを拝借したわけでは決してないのである。
あるいは昨今、右派やネトウヨの間では、旭日旗をナチスのハーケンクロイツと同質として忌避することに対して「旭日旗は軍旗だから鉤十字とは由緒が異なっていて、ドイツ軍が現在でも使っている鉄十字章と同じだから問題ない」というような理屈をこねる向きがあるが、先に見てきた通り、戦中軍部での旭日旗の扱い方と、それを「感激狂喜」しながら復活させた海自の成り立ちを考えれば、もはや反論にすらなっていないだろう(というか、鉄十字もサッカースタジアムに持ち込めば処罰の対象となる)。
結局のところ、サッカーの試合などで繰り返される旭日旗の問題は、日本が侵略国家であったという歴史を軽視しているばかりか、日本の国民がその御旗のもとで戦争へ動員させられたという事実を忘却しているのだ。外国からどう見られるかという国際的な視点ももちろん大事だが、その前に一度立ち止まり、自分たちの祖先が旭日旗の下で何を強要されてきたかについて、真摯に向き合うべきだろう。でなければ、外的な抑圧感情が反動に結びつき、同じことが反復されてしまうだけだ。

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